ティキ→リナリーな感じで! 
アレンと実はこっそり神田もリナリーが好きだったりするイメージなのですが……
「惚れた!」
 唐突にそう告げられてリナリーはどう反応していいか困る。
「……えっと」
 目の前には背の高い、しかしどうお世辞を言ってみても『ボサッとした』以外の形容詞をつけるのは難しいだろう男が立っている。初対面でいきなりそんなことを言われても困る。もっとも初対面でなかったとしても無精ひげに覆われた表情の見えない顔で言われてはどう返答していいものか。
 まじめに怪しい人なのか、それとも単にからかわれているだけなのか。
「ああ、いやいや、今日のところはこれで引き上げる。また後日」
 ブンブンと手を振って一気に遠ざかる男はなんだか雰囲気がコムイに似ていなくもない。
「ヘンな人……」
 人混みの中ですれ違いざまにいきなり声をかけられて、リナリーが現状を把握する前にもう立ち去ってしまった男のことは、だからほとんど彼女の記憶にも残らなかった。



「ちょっと待ってくださいよォ」
 リナリーは少し後ろをついてくるアレンを振り返って、歩く速度を少しだけ弛める。大きな荷物を持って小柄なアレンは歩きづらそうに追ってくるが、嵩張る荷物に視界を遮られていてもリナリーに手伝わせようとは思わないらしい。そんなところも彼の修業時代がどんなだったかを彷彿とさせる気がしてリナリーの表情に微笑みが浮かぶ。
 上品そうにニコニコと微笑んでいることの多い彼はしかし師匠である元帥にかなり激しい表現で可愛がられていたようだし、そうとう苦労してきたらしい。にもかかわらず表面的にはどこかの上流階級の坊ちゃまのようなあたりの柔らかさとか、虐げられてきたからなのかやけに腰の低いところとか、にも関わらず案外気が短かったり頑固だったりするのもリナリーには好ましく映る。
「?」
 唐突に視界の全てを黒いモノで遮られてリナリーが上を向く。黒いタキシードで正装をした背の高い男と目が合う。
「見つけた♪」
 ニコッと笑った男にリナリーは反射的に身構える。アレンが慌てたように走り出したが左手が発動されていないのも視界の隅にとらえたので、寸前で顎にヒットさせる手前で繰り出したキックを止める。
「……おっと」
 ビックリして固まってしまったかのような、もしくはさして動じてもいない風な、どっちともとれる様子で男が両手を挙げる。
「誰?」
「ティキと申します。可愛いお嬢さん、よろしければお名前を」
 男は腰を折ってリナリーの手を取る。
「リナリー!」
「アレンくん」
 ようやく追いついたアレンがリナリーをかばうように男との間に体を割り込ませると、挑むように睨み付ける。
「おっと、これは勇ましいナイトの登場かな?」
 男がシレっとそんなことを言ってアレンの神経を逆撫でする。
「リナリー、愛らしい名前だ」
 あなたにピッタリだね、とリナリーの手に口づける。慌ててリナリーは手を引くがアレンはそれを見てガーンと蒼白になってしまっている。
「えっと……お会いするのは初めてだと思うんですけど。誰かとお間違えでは?」
 言葉は丁寧だがリナリーの口調は極めて冷ややかだ。
「いいえ、先日お会いしましたよ。あんな形をしていましたから、声をかけるだけで失礼しましたが」
 ずっと探していたんです、と言うティキにようやくリナリーは先日のあの男のことを思い出す。
「あ、あのボ……」
 ボサーッとした! と言いそうになって慌てて口元を手で覆う。ティキはそんな様子にもニッコリと微笑んでみせる。
「ええ、あの時はちょっと、かなりみっともない格好で。レディの前で失礼を致しました」
 いちいち言ってる言葉が気障ったらしく感じられてアレンには腹が立つだけだが、リナリーはどうだろう? と振り返るとなんだかうっとりしているように見えなくもない。
「改めてデートにお誘いしたいんですが?」
 一緒にいるアレンをフッと見下したように笑うあたり、アレンなんか眼中にないと言っているようでムッとする。
「……デート、ですか?」
 断るはずだ、とアレンは当然のように思ったし、リナリー自身もいきなり町中でこんな風に口説いてくる男に興味はなかった。
「そう。とりあえず、食事でも。私を知ってもらうためにはちょうどいいし」
 いいながらティキはさっそくリナリーの腕を取ろうとしている。
「あのっ」
「なんだい?」
「今から……ですか?」
「都合が悪い? 時間も遅くならないように送りますよ?」
 柔らかな口調なのに押しが強い。
「あ、アレンくん!」
 半ば以上ティキに引きずられるようにしながらリナリーはオロオロしているアレンを振り返った。
「先にかえって、少し遅くなるからって言っておいて」
「でも、リナリー!」
「大丈夫だから。コムイ兄さんうまくごまかしておいてね」
 そう言われてしまえば、二人の後をつけるわけにもいかない。だいいちあの大きな荷物をいったん教団に持って帰らないわけにいかないし。
「ハァ」
 アレンはひとつ大きなため息をついた。



「リナリーと一緒じゃなかったか?」
 教団の門を潜ったと同時に神田に見咎められてしまった。出掛けるときに顔を合わせたからリナリーとアレンが一緒に出たことを神田は知っているし、まさかそのまま同じ場所で修行の続行中だとは思わなかったのでアレンは慌ててしまう。
「あ、いや……一緒だったけど……」
「けど?」
 刃を突きつけられてギロリと睨まれれば余計にアワアワしてしまうのは自分に非があることを知っているからだ。
「けど、途中で別れました。その……女の子の買い物だからボクは邪魔って言われて……」
 う、うまくごまかせたかな? とアレンが上目遣いに見上げるとフンと見下ろしたのも一瞬でまるで今の会話などなかったかのように神田は修行に戻ってしまっている。
『よ、よかった〜。バレなかったみたいだ』
 胸中でホッと胸を撫で下ろすとアレンはそのまま荷物を置くために中へ入っていく。
 神田に言ったのと同じいいわけでコムイもどうにか誤魔化したが、それでもなんで後をつけて護衛しなかったんだと詰め寄る激しいシスコンっぷりにアレンの方がタジタジになってしまう。「ムリです!」と逃げ出してはきたけれど、やっぱり怪しい男に連れ去られたリナリーに着いていかなかったことが今更ながらに後悔される。
「リナリー、大丈夫かなぁ」
 自室で一人になって、窓の下を覗き込むようにしてリナリーの帰りを待つ。待っている時間というのはなぜこんなに長いんだろう。
「あ……」
 そういえば門の前に神田が居る! リナリーが帰ってきた時に嘘がばれたら! ブリザード吹き荒れる冷たい視線で凄まれることを想像してアレンはブルブルと顔を振った。
「やっぱり迎えに行こう」
 門の外、階段の下まで降りて待っていればすれ違うこともないだろうし、神田に見つかる前に話を合わせることも出来るだろう。そうと決まればサッサと行動するに限る。グズグズしている内にリナリーが帰ってきてしまう。
 だがそれほどアレンは長く待ったわけではない。暗くなるにはまだ充分に早い時間にリナリーは一人で戻ってきた。
「リナリー!」
「アレンくんじゃない。どうしたの?」
 こんなところに突っ立ってるなんて、とあっけらかんとした表情のリナリーにアレンは軽くため息をついて神田とコムイにした嘘のいいわけを伝えることにする。リナリーは一瞬呆れた顔をして見せたものの、わかったわ、とニッコリと微笑んだ。
「で、その……」 「言って置くけど」  ピッと人差し指をアレンの眼前に突きつける。
「食事はしてないからね。よく知らない人と知らない店で食事なんてできないわ」
 だから、私の行きつけの店でお茶をしてきたの、と笑うリナリーにアレンは内心で頭を抱える。なんだかあまり違わない気がするのは自分の気のせいだろうか。それとも自分が気を回しすぎなのか。
 二人で門を潜ると、やはりまだそこには神田がいる。
「ただいま!」
 リナリーが元気に言うとチラっとだけ視線をやって「おかえり」と聞こえないくらいの小さな声で呟く。言わないとリナリーを怒らせることを経験的に知っているからだ。お人形のように可愛いのにそういうところは容赦がない。
「心配してくれたんだって?」
 リナリーが言うと神田はピシッと固まって、それからツイとそっぽを向く。
「もやしが一人で帰ってきたから気になっただけだ。心配した訳じゃない」
 低い声で言い訳のように呟くとこれ以上追求されたくないのだろう、二人に背中を向けるとアッという間もなく立ち去ってしまう。リナリーがクスッと笑って「あれは照れ隠しよ」と言うとアレンはそうなのかなぁ……と首をひねった。



「神田、アレン……君たちに極秘任務を与える」
 相変わらず乱雑な部屋に通されて決して仲がいいとは言い難い二人を前にコムイ室長が珍しくまじめな顔をしてそう切り出した。
「極秘任務……ですか?」
 新しい任務、ではなく極秘、とつくからにはなにかしら特別な任務なのだろうかとアレンは気を引き締める。
「ここにいる三人以外誰にも漏らしちゃいけない」
 コムイがさらに言うと、神田はケッと莫迦にしたような音をもらす。アレンは食い入るようにコムイの手元の資料らしきモノを見つめている。
「これを」
 コムイから二人にペラ紙が渡される。いつもの任務であればもう少し枚数がありそうなのに、極秘だから反対に紙という形して残すわけにいかなかったのだろうか。
「これは……?」
 手渡された紙を見ると、一週間分のタイムスケジュール表のようなものが印刷されている。
「見て判ると思うが、タイムスケジュールだ」
 しかし渡された用紙にはなんのスケジュールも書かれていない白紙の状態で。
「君たちにはここにとある人物の一週間の行動を記していってもらいたい」
「尾行ですか?」
 口に出して言ったアレンを神田が蔑むような視線で見る。心の中でこんな騒がしい奴に尾行なんて出来るわけないだろうと思っているだろうことが丸わかりだ。
「なんで俺がこいつと組まなきゃならない?」
「いくつか理由はあるが、まず一つはもし仮に見つかった時にアレン一人だと言い訳が立たない」
 いいわけ? とアレンは首をひねったが黙ってコムイの説明を聞くことにする。
「そして、ここが肝心だがアレンは相手を知っている。接触があったら判る。だからアレンは外せない」
 じゃあ俺を外せばいいだろう、と神田が言うより早くコムイがまぁまぁと手で制する。
「たとえばラビあたりにすればいいだろうと神田が言いたいのもよくわかる。だがダメだ。ラビとアレンは仲良しさんだ」
 仲良しさんという言い方にさらに違和感を募らせるが、どうしても自分が行くしかないのであれば早く任務の説明をしてほしいのも事実で。
「……で、尾行の対象は?」
 サッサとくだらない話はやめろとでも言いたげな神田の様子にコムイは小さく嘆息すると眼鏡を直す仕草で顔の半分を隠す。
「これが対象だ」
 裏返しのまま写真をツイと二人の前に差し出す。
 神田が手に取った写真をチラリと見るとチッと大きく舌打ちする。
「キサマの冗談につきあっている暇はない」
 神田の手からアレンがようやく写真を手にすると、そこに映っているのは……
「ええー? 神田くん、リナリーがどこの馬の骨とも知らない男と外で会ってるんだよ! 気にならない?」
 どこでそんな情報を〜!? とアレンは愕然とする。シスコン侮り難し!
「リナリーが悪い男に騙されてあんなことやこんなことや……あまつさえそーんなことにでもなったりしたら!」
 ああーーーっとコムイが泣き崩れる。勝手に妄想して泣いていたら世話ないよなぁと半分呆れながらもアレンは無関係でもないので口を噤んでいることにする。下手に口を挟めば最初の失態を色々と詮索されかねない気がする。
「うるせぇ」と神田が小さく呟くのがコムイには聞こえないようだが、もしかしたら聞こえていてわざと嘆き続けているのかもしれない。
「と、言うわけだから。神田、アレンよろしく」
 いきなり唐突にそれだけ言い渡すと、視線を机の上の書類の束に落とすなり猛スピードで処理し始める。それを見て神田がひとつ深くため息をついた。
「行くぞ」
「え? でも」
 なんだか話がどうなったのか判らずアレンが訊ねると神田はもう一度ハーーーッと深く深くため息をついてアレンの腕をつかんで執務室から連れ出す。
「見ただろう、あいつはあんな風に仕事を始めたらもう周りのことは見えない。あそこにいるだけ無駄だ」
 心底イヤそうに顔をしかめて、それからアレンを睨むようにして声を絞り出す。
「仕方がない。単独行動はしないのが原則だ」
 その原則のパーティを組むのを一番嫌がるのも神田だ。イヤそうにはしているが実のところリナリーが外で会っているという男のことが気になっているのかもしれないとアレンは心の隅で思った。
「サッサと片づけるぞ」
「そうですね」
 一週間、リナリーを尾行してできればあの男のことを調べる。どう考えてもエクソシストの仕事とは思えないし、もっと言えばそういった隠密行動が向いているとも思えない。ともあれ、仲間の尾行をするんだから(しかもどう言い繕っても私事だ)確かに極秘じゃなきゃ拙いだろう。
「本部内にいる時はおまえが一緒にいるようにすればいい」
 自分は勝手にさせてもらうと言い放つ神田に、しかしアレンもそれが比較的自然なんだろうなと思う。年齢が近いこともあるし、一番最初にいろいろと面倒見てもらったのもあって一緒にいることも多い。
「外に出る時は呼びに来い」
「呼びに行ってる間にいなくなっちゃいますよ?」
 小首を傾げたアレンのこめかみをグリグリと容赦なく押さえつける。
「お前の頭は飾りか! なんのためにゴーレムがいると思うんだ」
「あっ」
 ポンと手を打つアレンに神田は頭痛を覚える。こんな奴と一週間も行動を共にしなければいけないのかと思うと、任務とは名ばかりの茶番を擲ちたくもなろうというものだ。
「で、今はどこにいるんだ?」
「リナリーって名前で呼ぶの、まずいですよね?」
「……対象とでも言うか?」
 神田が口の歪めて皮肉を言ってやるとアレンは驚いたように目を見開く。まさかこういう場面で冗談を言うとは思わなかったようだ。
「じゃあ、明日から……」
 でいいですよね? と上目遣いでアレンが見上げてくるのを神田は苦々しく見下ろした。



「おはよう、アレンくん!」
「あ、おはようございます」
 食堂で朝から豪勢な食欲を見せているアレンに気づいたリナリーが声をかける。寄生タイプがよく食べるのは知ってはいるけれど、それでもやっぱりアレンの前に積み上げられた空の食器とまだまだ広げられている料理の数々を見ると一体どこに消えてしまうんだろう……と遠い目をしたくなってしまう。
「アレンくんは今日は?」
 ニッコリと微笑まれて一瞬躊躇する。もしリナリーが外に出るなら自分も『任務』でいいが、本部内に留まるなら……と考えてゆっくり表情を整える。
「えと、今のところ特には」
 応えに一瞬詰まったことをリナリーが不審に思っている様子がないのを確認してからアレンも恐る恐る探りを入れることにする。
「えと、リナリーは今日はどうするんですか?」
「ん? 私? 私はデート」
「そうですか、デート……デートォ??
 突然素っ頓狂な大声を出したアレンにリナリーは耳を押さえつつもニッコリと微笑んだままだ。反対にアレン自身が自分の声の大きさにビックリして慌てて口を押さえている。
「えと、あの……デートって、あの、デート……ですか?」
「デートにあの、もその、もないと思うんだけどなぁ」
 クスクスと笑っているのは明らかに動揺したアレンを見て楽しんでいるからだろう。
「で、でも……そ、そうだ。コムイさんは知ってるんですか?」
「ふふ、コムイ兄さんには知らせてないわよ? だってデートするだけだし」
 だけ……だけってそんな! アレンは心の中で盛大に叫ぶがそれを口にする勇気はない。先ほど大声を出したせいでなんとなく二人に集まっていた視線も今は次第に散り始めている。がふと辺りを見回して神田が食堂の隅にいるのに気づく。ということはティムキャンピーで神田を迎えに行く必要はなさそうだと判って、それだけは良かったかな、とアレンは自分を慰めることにした。



「でも一体いつの間にデートの約束なんてしたんだろう」
「……前に逢った時しかないだろうが」
「それはそうなんですけど」
 でも最初の時はリナリーはそんなこと一言も言わなかったし、お茶してきただけって言ってたのに……と思うが、まさかその時のことを暴露するわけにもいかないのでアレンは一人納得のいかない思いをしている。
「問題は、どこで知り合って……あのやろーがどう口説いたのかだな」
 普段から怒ってるっぽい人だけど、リナリーをエスコートするように自然に腰に手を回した長身の男にあからさまな敵意を見せる神田にアレンは違和感を覚える。
「ここからじゃ……なにを喋ってるかまでは判りませんね?」
 尾行は気づかれない範囲でする必要があって、顔の知られた相手だから当然それなりの距離をあけなければいけないから笑いながら話をしてる、くらいのことしか判らない。
「……ゴーレムを少し近づけてみるか?」
「ううーん、でも目立ちませんかね?」
 教団の団服が目立つのには理由がある。それはこの前理解した。そのエクソシストが2人連れだってコソコソしているのだから却って悪目立ちしている気がするくらいだ。もっともこのくらい離れていればそれも含めてリナリーにはばれないだろうと思われるくらい離れてしまっているのだが。
 ゴーレムも決して大きなものではないが、しかし虫と思えるほどに小さいわけでもない。普通の人間の中に紛れて気づかれないとも思えない。それが判らない神田ではないはずだから、相当気になると見える。
 まだ尾行を初めて半日も経っていないが、たった一週間の間にリナリーが相手と接触するとは限らないと思っていたのに、まさか初日にこうくるなんて結構なダメージを2人に与えていた。
「でも……気になりますね」
 男と2人で向かい合わせに座って額を突き合わせるようにして楽しそうに話をしている。明るい雰囲気の喫茶店、窓際の席。朝身支度をして本部を後にすると男と待ち合わせていたらしい喫茶店に来て、今は午后。いい加減にバカバカしくなってきた頃だ。
「あ、席を立ちますよ」
 2人が揃って席を立ったのでこれで終わりだと思うと自然と笑みが浮かぶ。この不愉快極まりない『デート』がようやく終わってくれると神田もアレンも心底ホッとしたのだ。
「……まだ終わりじゃない」
 リナリーが本部に戻るまで見届ける必要があるし、さらに言えば相手との接触が確認された以上素性を調べることまでが任務に含まれることは暗黙の了解だ。
「あ、移動しますよ」
 しかし店を出たリナリーと男はそこで別れるかと思いきや連れだって歩き始める。
「どこに行くんでしょう?」
 相変わらずリナリーの腰にさりげなく回された手にイライラを募らせながらアレンは右手の爪を噛む。
「あっ!」
「……ッ」
 2人が仲良く入っていったホテルを前に呆然と立ちつくす。
「……しょ、食事かも知れませんよ? あそこではなにも食べてなかったみたいだし……」
 自分に言い聞かせるようにアレンが言うと神田も小さく頷いたがその目つきはかなり荒んでいる。
「ここで入り口だけ見ていても始まらん。ゴーレムに後をつけさせよう」
「そ、そうですね。ティムキャンピーなら映像記憶できるから……」
 くれぐれもリナリーに見つからないように気をつけるんだよ、と言いきかせてアレンはティムキャンピーをホテルに向かわせる。



「ここの食事は美味しいんですよ」
 あなたのお口に合えばいいが、とティキがリナリーをエスコートする。ホテルの中にある高級レストランに入る。ランチだというのにメニューに並ぶのはひとつふたつ0が多いのでは? と思わせるようなモノばかりだ。
「おまかせするわ」
 リナリーはパタンとメニューを閉じるとティキにニッコリと微笑む。ティキはあっさりと頷くと何度か目でメニューをなぞっただけでウェイターを呼ぶ。簡単な会話を交わして注文をすませる様子だけでもこういった場所に慣れているのがわかる。
「よくこういうところに来るの?」
「いやいや、ただ知り合いに味にうるさい男がいて」
 丁寧な口調を崩しはしないが、それでも話しているうちに少しずつ普段の口調に戻ってきている。最初の出会いの時のことを考えてみれば少し乱暴なくらいの言葉遣いが地なのだろうということはわかる。
「でもおかげで美味しいモノを食べられるわ」
 彩りのいい料理の載った皿をテーブルに並べているウェイターにほほえみかける。
 グラスを合わせるとカチッと高い音が響く。
「本当はランチじゃなくディナーに招待したいんだが」
 残念そうに言うティキにリナリーはクスッと笑う。
「夜はダメよ、兄が心配性なの」
 肩をすくめるようにして言うとティキは大きく頷く。
「お兄さんの気持ちも判るなぁ、リナリーみたいな可愛い妹がいたらそりゃ心配もするだろう。もっとも恋人候補に立候補しているボクとしてはあまりありがたくはないけどね」
 コムイの過保護ぶりはそんなレベルではないのだが、そこまで言う必要もない。リナリーはニコッと笑ってコメントを差し控える。
「実はボクにも妹がいるんですがね」
「やっぱり可愛いんでしょう?」
 リナリーが言うとティキはウームと考え込むような仕草をする。
「あいつは……可愛いっていうのとは、違うような気がするなぁ。あっこれ美味しいですよ?」
 見た目もきれいに飾られたオードブルを切り分けると一口分をリナリーの皿に載せてしまう。ニコニコと話題をそらされてこれ以上突っ込むなと言うことだろうなとリナリーも口を噤む。
 実際食事はどれも本当に美味しくて、ティキの話す様々な話は楽しくていくら聞いていても飽きることはなかった。
「あ、もうこんな時間……そろそろ帰らなくちゃ」
「もう? 本当は帰したくないけど、そんなことをしたらお兄さんに嫌われてしまいそうだから」
 リナリーの手を取って立たせると、またさりげなく腰に手をやってエスコートする。そんな仕草がしっかり身に付いていてわざとらしさを感じさせない。
「次はいつ逢える?」
 背の高いティキがリナリーに視線を合わせようとすると必然的に少しかがむようになる。見上げているリナリーと顔が近づいて…… 「んー、いつ仕事が入るかわからないから」
 困ったような表情でうつむくと見つめ合ったような格好から逃れる。
「じゃあボクが勝手に決めてしまおう。今週の週末、場所はここ。時間は午後7時」
 そこまで言ってティキはリナリーの瞳をもう一度覗き込む。夜はダメだと話していたはずである。それが判っていてそんな時間を指定するティキにリナリーが困ったような表情で見上げるのを見つめて。それからゆっくりと口を開く。
「もし予定が入ってダメになったら伝言をくれればいい。伝言がなくて来てなかったら、振られたんだと思うことにするから」
 困惑した表情で、でもリナリーが小さく頷くのを確認して、それからティキはリナリーの背中を軽く押すようにして歩き出す。そこから二人が別れるまでしばらく無言が続いて。



「……どう思います?」
「……」
 あからさまに不機嫌な表情でブスッとしている神田にアレンが恐る恐る問いかける。ティムキャンピーの見てきた映像をコムイ室長にいきなり見せるよりはまず自分たちで見ておいてそれなりの対応策を練った方がいいだろうと言うことで神田の部屋で見終わったところだ。
「どうもこうもねぇだろーが」
「そうですよね、とりあえず尾行するしかないですよね」
「その前に伝言の件があるからそれまでもちゃんと尾行してろよ」
 そもそも一週間分のリナリーの行動の報告義務があるのだで、アレンが本部でリナリーと一緒に過ごす間に神田が相手の男のことを調べてくれるとうれしいのだが、それを言ったら顔しか判らない相手がどこの誰かどうやって調べろと言うんだと速攻却下された。たしかに自分が調べろと言われたら無理だと思うからアレンもそれ以上は言えない。
「これ、どうします? コムイさんに……知らせますか?」
 知らせたらデートそのものを阻止しようとする可能性は大だ。が、今回がダメになったからと言ってその次にどうなるかは判らない。だからといって知らせないでいたら後でそのことを知った時の反応が怖すぎる。
「知らせ……ない、わけにはいかないだろう?」
 いつになく語尾が疑問形になっているあたりに神田の微妙な感情が顕れている気がする。
「そう、ですよね……知らせ……」
 ハッとそこで気づいたようにアレンがパッと顔を上げて神田を見る。
「まさか、ボクが言うんですか? コムイさんに?」
 当たり前のことを言うんじゃない、とでも言うように神田がそっぽを向く。
「ええー?」
 イヤだなぁ……と言ってしまいたいけれど、それでは事態はちっとも好転しない。というか、コムイに全て話したところでなにかが好転するとはちっとも思えないのだけれど。
「……わかりました」
 はぁ……と深く深くため息をついて。それからフとアレンは顔を上げると神田と視線を合わせる。
「あれ、でも今回はいいとしても相手が誰かわからないんじゃ全然解決にはならないですよね?」
「……そんなことはコムイにでも任せておけ」
 あいつなら勝手にどうとでもするだろう、と投げやりに言う神田だがリナリーとデートを重ねる男に決していい感情を持ってはいないことは見て取れる。
「じゃ、じゃあ……行って来ます」
 アレンは神田の目の前で十字を切って、それから気分を表すようにうつむき加減に部屋を出る。どう言えばコムイを逆上させずに話せるのか、考えただけで憂鬱になってくる。
 いくら考えてもうまく話せそうにはないし、とりあえず室長の部屋を訪ねることにしたアレンは重厚な扉の前で今日何度目かになるため息をついた後ゆっくりと時間をかけて右手を挙げると小さくノックする。聞こえなかったらいいな、と思ってしまったのはまぎれもない事実で。
 コンコン
 小さく呻くような声……のようなものが聞こえてアレンは仕方なく扉を開ける。
「失礼しまーす」
「んん、アレンか」
 どうした? とげっそりとした顔を上げたコムイは次の瞬間にはアレンのところまで飛んでくる。
「ま、まさか、リナリーが」
 自分で勝手に何か想像して真っ青になっている。
「とりあえず、外で逢ってる男がいるのは判りました」
 アレンの言葉にコムイは頭を抱える。
「ああー、リナリー、お兄ちゃんを置いていかないでくれ〜」
 完全に取り乱している。アレンはとりあえず一人で嘆いているコムイを相手にしても仕方ないので泣き疲れておとなしくなるまで待つことにする。黙ってジーッと待つこと数十分、ようやく落ち着いたらしいコムイにアレンは恐る恐る話しかける。
「食事を一緒にしてるのは確認しましたけど、見……ますか?」
 ティムキャンピーを差し出すと、まるで恐ろしいモノを見るような目つきで「いや、いや……いい、見たくない」とプルプルしている。
「その……かいつまんで君から報告してくれたまえ」
 そう言いながらも聞きたくない、と言うように耳を押さえているコムイにアレンは呆れていいのか笑っていいのか同情すればいいのか……なんというかとても複雑な気分になる。
「喫茶店で会ってお茶をして、その後レストランに移動して食事。喫茶店での会話は聞こえなかったから判らないけど、レストランではとりとめもない話をしてるだけ」
 ここまで一気に言ってしまうと、コムイが少し上向いてきたのか、フンフンと頷きながら聞いている。
「ただ次のデートが……次の土曜の夜です」
「……」
 アレンの言葉を咀嚼するまでに数瞬かかって、ようやく脳に到達した途端ウガーっとまた暴れ出す。
「無理矢理阻止できないわけじゃないけど、でもそんなことしてもまた次の機会があって……解決にはなりませんよね?」
 日時が判っているので室長のコムイにはそこにバッティングするように仕事を入れて邪魔をすることもできるのだ。が、それでは問題の先延ばしでしかも次の機会はいつになるかわからない、ということになってしまう。
「じゃあ、じゃあどうすればいいんだい?」
 コムイが涙を流しながらアレンの胸に取り縋る。なんとしても阻止したい! と語るその目は涙でウルウルと光っていてある意味とっても純粋だ。
「その……見守るしかない、かと」
「……つまり君は」
 言葉を切ったコムイはスッと立ち上がると、姿勢を正す。そうすると不思議と表情がなくなって、冷ややかな空気を纏う。
「つまり君はリナリーがどうなってもいいと、そう言うんだね?」
「そんなこと言ってないじゃないですかぁ」
 今度はアレンが泣きそうである。リナリーがどうなってもいいなんて思ってもいないし、あの男にいい印象は持っていない。それはリナリーを取られそうだからという嫉妬からのものであることをアレンは自覚しているだけなのだ。
「ちょっと離れたところから見守って、もしなにかありそうだったら全力で阻止する……っていうんじゃダメですか?」
「……それはもちろん、エクソシストとしての君たちの全力……という意味だよね?」
 たち、のところに力を込めてコムイがアレンを見る。つまりアレン一人では足りないという意味だろう。たしかに、もし仮にリナリー自身が納得して男について行っているのであればアレン一人で太刀打ちできるとは思えない。神田が一緒だとしてもどうだろうか。
「も、もちろん」
 神田がやる気になってくれるかなんてアレンには判らなかったけど、そうとでも言わないことにはコムイを納得させられないだろうし、神田だって男が現れた途端にイライラしていたことを思えば嘘にはならないだろう。
「じゃあこっそり尾行」
 OK! と親指を立てて見せてコムイはアレンを不安にさせる。ともあれ、土曜当日までにリナリーが伝言を預けに行ったりしないかは見ておかなきゃいけない。
「じゃ当日までアレンはしっかり見張っているように」
 ビシッと任務を言い渡すのと同じ調子で言われてアレンはガックリと肩を落とす。判ってはいるけれどそれでもむなしさを覚えずにはいられない。
「……失礼します」
 部屋を後にすると、とりあえず今の報告を神田にしておくべきかと再度アレンは神田の部屋に向かうことにした。



「!」
「……コムイ」 「ん? なに?」
 いよいよ決戦の日! とばかりに土曜の夕方リナリーが本部を出たところから尾行すべく少し早く本部を出た3人が待ち合わせたところでアレンと神田が絶句する。
「……その格好はなんなんですか?」
「ん? 変装だよ、変装」
 見つかったら拙いだろう? これならばれないと思って、と言うコムイの奇天烈な格好ときたら! 「それ、かえって目立つ気がするんですけど……」
「え? そうかな?」
 全然気にした風もないコムイにアレンがため息をつく。神田は端からケッと言ってそっぽを向いたきりだ。
「シッ、出てきた」
 短い神田の叱責に、二人もハッと息を詰める。物陰に身を隠しながらリナリーの後をつけるが、端から見たら怪しい集団にしか見えないのはひとえにコムイのせいだ。
 夕方、この時期ならば夕暮れの残照でまだそれ程には暗くない中をリナリーがひとりで歩いていく。その後ろを怪しげな集団が一定の距離をおいて隠れるようにしながらついていく。
「何事もなくホテルまで来ちゃいましたよ〜」
 このあとどうするのかが一番の問題なのだ。待ち合わせがホテルのレストランである以上ホテルに来るのは当然としても、彼らがこれ以上尾行することが出来ないのは前回と同じ条件だ。いつでも飛び込んでいけるように近くに待機して、ティムキャンピーからの通信で中の様子をはかりながら……ということになるだろう。
「それとももう少ししてから中のカフェに入っちゃおうか」
 そうすればティムからの緊急通信を受けて飛び込むのも、それをリナリーに見つかっても「三人で仲良くお茶」と言い訳しちゃえばいい! とコムイが胸を張る。
「このメンツで仲良くお茶?」
 バカにしたように神田が吐き捨てる。
「仲良くお茶は無理でも、任務の打ち合わせってことなら……」
 アレンが自信なさげに言うと、案の定神田はチッと舌を打つ。
「だからお前はもやしなんだよ。室長がわざわざこんなとこまでお出ましになるってのがそもそも変だろうが」
 休みなし、仮眠も不規則に短い時間とるだけ。それ以外はずっと書類に埋もれているコムイが仕事をほっぽらかして外に出てきていること自体かなり異例……というか異様? なことだし、その場所がリナリーのデート現場とあればバレないほうがどうかしている。
「あきらめるんだな」
 言い捨てる神田に、コムイが涙目で訴える。
「諦めるって……リナリーがどこの馬の骨とも知れない男にさらわれようとしてるんだぞ!」
 いや、攫われないだろうけど、とアレンが心の中だけでツッコミを入れる。
「だから、尾行けて来てるのがばれないようにって画策するのを諦めろって言ってんだ」
「え?」
「そうだろ? 誰がリナリーを黙ってくれてやるっつってんだよ」
 そんなわけないだろう、と言う神田にアレンがびっくりする。コムイはともかく、神田がそんなことをはっきり口にするとは思わなかったからだ。
「じゃあ……」
 こそこそと打ち合わせをしたあと、少しだけ時間をおいて3人は連れだってホテルの中に入っていく。その際コムイが脱ぎ捨てた被り物に道ゆく人が驚いて尻餅をついた人が何人か現れるのだが、それはまた後の話だ。



「来てくれたんだね」
 リナリーが待ち合わせ場所のレストランに行くと、ティキがにっこりと微笑んだ。
「遅くなった?」
「いや、今日は来てくれないんじゃないかと思ったからね」
「ちゃんと来たわ」
 給仕よりも先にティキがリナリーをエスコートする。イスを引いて紳士がレディに対するように自然な動作でリナリーが座るのを待つ。
 食事の合間にする会話はティキの話すおもしろおかしい話にリナリーがにっこりと相づちを打つ感じだ。
「さて……」
 食後のコーヒーも終わって話も一段落したところでティキが席を立つ。来た時と同じようにイスを引いてリナリーを促すと、いつものように勘定を済ませる。
「今日は部屋をとってあるんだ」
 ティキがいよいよ核心に迫る。
「そうなの?」
 リナリーもいつもの笑顔を崩さないが、夜はうるさい兄がいると言っていたのに夜のデートを指定した。場所はホテルのレストラン。その気がないなら来なくてもいいとも言ったが、彼女は来た。ティキはリナリーのOKはもらえたものだと思っている。
 カード鍵を胸ポケットからチラリと見せて、いつものようにリナリーの肩を抱き寄せるようにして歩く。
「じゃあ、今日はここまでなのね。楽しかったわ、ありがとう」
 ニッコリと、リナリーが微笑む。
「え?」
「部屋をとってあるんでしょう? 送ってもらわなくても帰れるわ、そんなに遠くないし」
 邪気のない笑顔でそう言われてしまえば。
「わ……悪いね」
 はっきりとリナリーを抱きたいと告げたわけではないティキも、がっついたガキじゃあるまいし「ここまで来ておいてそれはないだろう」なんて力に訴えるわけにも行かない。情けない表情になってしまったのは否めないが、なんとか笑顔を浮かべてみせる。
「じゃあ、また今度ね♪」
 美味しい食事と楽しい会話。貞操の危機は回避してリナリーはご機嫌で帰路についた。



「……」
「か、帰りましょうか」
「そ、だね」
 リナリーのデートを見守っていた(?)3人の男たちも本部への道を急ぐ。
「ともあれ、リナリーは無事だった!」
 コムイがうれしそうに言うと2人も頷いて、でもなんだか複雑な表情を隠しきれない。
「でもデートはデートだったんだよね……」
 デート自体を邪魔することはできなかった。それに相手の男の正体を突き止めることも出来なかった。この後あの男をつけたとしてもきっと無理だろうと思われ……
「はぁ」
 3人が3種3様のため息をつきながら本部の門を潜ろうとした時……
「3人とも、おかえりなさい」
 にっこりと微笑んで立っているリナリーを見た途端に、彼らは自らの失敗を悟ったのだ。これは、全部知られている、と。
「た、ただいま、リナリー」
 それでも経験値の差かコムイが一番先に立ち直った。
「こんなところで待っていてくれたのかい?」
 微妙に顔色をうかがうように言ってみると、しかし彼女が怒っているわけではないことがわかる。
「ううん、ただね……任務なのかなって思ったから声はかけなかったんだけど、そうじゃなかったんならみんなも一緒に食事した方が楽しかったかな? って」
「リナリー〜、なんて優しい子なんだ。お兄ちゃんはうれしいよ〜」
 コムイがうれし泣きしている横で、アレンはとりあえずあからさまに怒られなかったことにホッとしていたし、神田は結局なんの進展もなかったこと(男とはっきり別れさせられなかったこと)を内心悔しがってチッといつものように舌打ちをする。



 コソコソしているアレンが気になってこっそり一部始終をのぞき見していたラビが「リナリー最強だぜ」と小さく呟いたのは誰も知らない。



fin
なんか……なんかわけわかんない上にだらだらとした話になってしまったわ〜(><;)
でもとりあえずリナリーちゃんがいっぱい書けて楽しかったでっす! アレンくんばっかりだっていうツッコミはなしな方向で(笑)