ののか 花火
「今度の土曜、花火大会、ですって」
 ののかが見上げてくる。
「……それは連れて行け、ってことかな?」
 唐突に振られた話題に心持ち身構えてしまうのは習い性ってところだろうか。
「ダメですか?」
「ダメ……ってことは、ない、けど」
 ダメ、とは言わない。言わないけど、でもその表情はダメだろう! と思うのは止められない。ただでさえ大きな瞳をウルウルさせてまっすぐに見上げる視線、両手のこぶしを胸の前に揃えたののかはまるで遊んで攻撃をしかける無邪気な子犬のようで。
 確かに花火に連れて行くコトなんてなんてことはないのだが、ののかにそんな風に見つめられるとどんなに無理なことでも頷かざるを得なくなりそうな、そんな犯罪級の可愛さなのだ。
「判った、今度の土曜だな?」
 心の中でひとつ溜息をついて、実はののかのどんなお願いも聞いてやりたいなんて惚れた弱みをしっかり利用されているんでは……なんてことまで一瞬頭をよぎった司だった。



「あ、お兄ちゃん!」
 待ち合わせの駅前。ののかの姿を見つけた司は驚きを隠しきれない。
「それ……」
「あ……お母さんに着せてもらったの」
 少し俯いて恥ずかしそうにしている彼女はいつもの元気そうな様子とは少し違って見えるのが不思議だ。着ている服装が違うだけでこんなに印象が変わるなんて知らなかった。
 薄い水色のようなパステルグリーンのような微妙な色に花の模様が散りばめられた浴衣と、帯の色に合わせた茶色がかった草色の巾着を手にしている。いつも髪を結わえているリボンも浴衣に色を合わせたらしく淡いグリーンっぽい。
「びっくりした……似合うよ」
 褒めるとののかは嬉しそうに微笑んで司の腕に手を掛けてくる。
 お揃いで着物というのも格好良さそうな気もするが、それよりは履き慣れない下駄でヒョコヒョコしているののかを支えてやれているのが少し誇らしい気もした。並んで歩くと後頭部のつむじが見える。普段よりゆっくり目に歩くののかにあわせて歩調を緩める。少しでもいい場所で花火を見ようとする人たちの人混みの中で普段よりもずっとゆっくり歩く二人はどんどん追い越されていっている。
「歩きにくい? 疲れない?」
「ううん、大丈夫……ごめんなさい」
 顔を覗き込むように言った司に、ののかは驚いて顔を上げると急げないことを謝る。
「なんで? 大丈夫だよ。ゆっくり歩けばそれだけののと一緒にいられる時間が増える」
 冗談めかして言って、腕にかけられたののかの手をポンと叩いてやる。先刻から花火を知らせる音がドーン、ドーンと響いている。
 ヒュー、ドドーン
「あ、明るくなった」
「花火、始まっちゃった?」
 周囲の人たちが慌てたように急ぎ足になる。
「のの、ちょっとこっち来てごらん?」
「?」
 体を寄せると、空の向こうにまばゆい光が乱舞するのが見えた。
「あっ、花火」
「うん。ここからでも充分見える」
「きれーい」
 うっとりとするののかをホンの数センチだが高くなっている、歩道の並木を囲んでいる煉瓦の上に立たせると足下が不安定なせいでよろけたりしないようにその肩を支えてやる。
「ほら、掴まってろ」
 ののかの手を取って自分の腰に抱きつかせる。司が腰を支えてやれればいいのだが、こういう時には帯が邪魔になるんだな、とチラリとののかの背中を見てから視線を空に向ける。花火が上がるたびに腰に巻き付いたののかの手が司のTシャツを引っ張って知らせるのだ。
 時折少しの休憩を挟みながら次々に夜空に大輪の花が広がっていく。
「すごい、きれい」
 きれい、を繰り返すののかの横顔を盗み見る。子供みたいにはしゃいでいるののかを見て連れてきて良かったと思う。
 そっと、ののかの肩を抱く手に力を込めた。
 紅、黄、銀の牡丹に菊、芯入り菊、千輪、やしの葉、土星、銀冠、スターマイン、ナイアガラ
「……」
 言葉もなくただ空を見つめている。
 ホウッと息を吐いたののかが縁石からトンと降りる。
「きれいだったね。ありがとう……お兄ちゃん」
「来て良かったな」
 言って頬に軽くキスをすると、少し慌てたようにののかが周囲を見回すのに苦笑する。
「大丈夫、誰も俺たちのコトなんて見ちゃいないよ」
 家族連れは自分たちのことで手一杯だし、だいたい周り中そんなカップルばかりが大勢いるんだから。
「帰るか……のの、家、寄ってくか?」
「え? えーと……」
「……店番?」
 少し俯き気味に考え込むののかに、もしかしてと思って聞いてみる。
「あ、いえ、そういうわけじゃ……あのぉ、私の部屋じゃダメですか?」
 最後のところはほとんど聞こえないくらいに声が小さくなってしまっているのは、こっちの意図したことが伝わったからだろう。
「いいけど……ののの部屋じゃ声とか聞こえちゃわない?」
「そ、それは、そうかも知れないんだけどぉ」
 ののかの言葉はどうも歯切れが悪い。
「えっと、あの……お兄ちゃんの部屋は……その、お兄ちゃんのニオイがするから……」
「俺のニオイ? 臭い?」
 クンクンとニオイを嗅いでみるが自分で自分のニオイはよく判らない。
「あっ、そんなことは! その、なんていうか、恥ずかしいから」
 司の部屋で司のニオイに囲まれて司に包まれるのはとてつもなく恥ずかしい、とののかが言う。
「あ、でも」
 こうしてると安心する、と司の腕に掴まって鼻先を腕に擦りつけてくる。
「なんだか不思議」
「そうか? ま、確かにののの部屋の方がいいよな。浴衣自分で着れないだろ?」
「あ、確かに」
 二人でクスリと共犯者の笑みを交わす。
 今はまだ、元義理の兄妹で先輩後輩だったという関係でしか世間には認められないけれど。
 いつか……ちゃんとおばさんに挨拶できるようになりたいと思う。



 だから今はせいいっぱい手を伸ばそう。今の自分に出来る限り、遠くの自分に手が届くように。



fin
花火です。夏ですから(笑)
ていうかね、夏コミに見事ぶつかってるじゃないですか、今年も。二日目……外せない買い物あるし〜とか。つらつらと考えていたらののかになりました。浴衣姿のののかが頭の中に浮かんだですよ! 可愛い〜ん♪ 文章であの可愛いらしさを表現しきれないのが悔しいです! くくー、私の脳内ののかはもっともっともっと、すんげく可愛いのに!