オープニング
ジリリリリ
「ん……」
 手探りで目覚まし時計を探す。
ジリリ……チン
 目覚ましの頭をたたくと、ようやく静かになる。
 部屋の中が静かになると、なぜか時計が針を刻む音が大きく聞こえてくる。
「ふっ……ん」
 大きなあくびをひとつして、ゆっくりと目を開ける。
 手の中の目覚まし時計を目の前約5センチにかざす。
「6時……?」
 カーテンを透かして朝の光が部屋へ射し込んでいる。
 いつも通りの朝。
 視力の悪いボクには世界はぼんやりと霞んで見える。
 ベッドを降りて、ベッドの横の机の上に掛けてあるコルクボードを見る。
 これも毎朝の習慣。
《7月1日〜××学園講師、7時前に家を出る》
「そうか、今日からだっけ」
『研究所の方は大丈夫なのかな?』
 伸びをひとつして、洗面所へと向かう。
 まだ眠いのは、いつもより少し早いから。
 冷たい水で顔を洗うと、それでも少しは頭がはっきりしてくる。
 恩師のたっての頼みで、今日から××学園の臨時講師をすることになっている。
 顔が鏡に映る。
 鏡の中の顔はぼやけている。
 タオルで濡れた顔を拭く。
「ふぅ」
 焦点を結ばない鏡の自分に向かってひとつため息をつくと、ボクはゆっくりと眼鏡をかける。
 …………
 目を開くと、鏡の前に立っていた。
「頼むから、あんまり……」
 頭の中で遠い声が聞こえる。
『あら、どういう意味かしら?』
 時計を見ると、まだ6時10分にもなっていない。
「少し早いんじゃない?」
 声に出して言ったけれど、いらえはない。
 頼むから、と響いた声は、先ほどの男の声だ。
 しかし、今ここに居るのは女ひとり。
 2人の顔立ちは基本的に同じ。
 ただし性別と性格の違いであきらかに別人に見える。
 まるで一卵性双生児のようだ。
 もっとも男女の双子は二卵性なので、ほんとうはこんなには似ていないのだろうけど。
 つまり、男か女か、そして性格からくる表情が微妙に違うくらいで基本的には同じ顔。
 大きく違うのは、眼鏡。
 しかし、先刻眼鏡をかけたのは男ではなかったか?
 女はどこから来て、男はどこに消えたのか。
「さて、とりあえず、準備しようかしら」
 整ったプロポーションを小さな下着が覆っている。
 全体にレースのほどこされた上品な一対の下着は女をノーブルに見せている。
 部屋を横切るとクローゼットから飾り気のない白いブラウスと黒のタイトミニをとりだして体に当ててみる。
 姿見に映る自身を見て、女は軽く頷く。
「これでいいわね」
 地味な服装も、この女が纏うとより妖艶さを引き立たせる。
 ボリュームのある胸と締まったウエスト、張りのある腰がより際だつ。
 部屋の真ん中、テーブルの上に小さな鏡を立てて、軽く化粧をする。
 ファンデーションは軽く。元の色が白いので下地はいらない。
 紅い口紅を筆で書き入れておしまい。
 ごくごく薄い、身だしなみ程度の化粧でも十二分な色気を感じる。
 髪をまとめて、もう一度姿見で全身を確認する。
 テーブルの上の鏡を伏せて、コーヒーメーカーから注いだばかりの熱いコーヒーを1杯。
 砂糖はなしで、ミルクを少し。ブラックでも良かったが、自分だけの体ではないので、これでも少しは気を遣うのだ。
「さて、と。初出勤といきましょうか」
 準備は昨日の内にすませてある。
 玄関で黒いパンプスをつっかけて、セカンドバッグひとつをもって、女はドアを開ける。



 足早に学生たちが歩いていく。
 がやがやと楽しそうに話をしながら、桜並木の下を急ぐ。
ブォン
 敷地内とあって、道いっぱいに広がって歩いていた学生たちがあわてて道をあける。
キキーッ
 思わず誰もがその真っ赤なセリカを見送ってしまう。
 正面玄関前の駐車場に派手な音を立ててセリカが滑り込む。
 ゆっくりとドアが開いて、まず揃えた脚が見えた。
「ここね」
 まだ新しい校舎を見上げる。
 女は、女性としてはかなり背が高い。
 ハイヒールを履いている分を差し引いても高いと思う。
 スタイルも抜群で、胸も大きいのに少しも垂れていない。
 少し色素が薄い感じで色が白く、後ろで結い上げた髪も茶がかっている。
 大きな眼鏡も、その美貌を少しも損ねていない。
 学生たちの群れから、ため息が聞こえてきそうだ。
 しばらくして女が校舎の中に消えていっても、まだそちらを見つめている者が何人もいた。
キーンコーン
 始業15分前のチャイムの音で彼らは我に返ると、今度こそ誰もが早足から駆け足へと変わる。



「と、いうわけで今日から倉林先生の替わりに化学を受け持っていただく高橋先生です」
「よろしくお願いします」
「では、みなさんよろしくお願いしますね」
 職員会議が学長の言葉で終わると、
『はぁ』
 心の中でため息をつく。
「高橋さん、高橋さん」
「はい?」
 隣の男に呼ばれて振り向くと、男はにこにこしながら言葉を継ぐ。
「高橋さん、下のお名前をお伺いしても失礼じゃありませんか?」
『えぇと』
 むやみににこにこしていて少し退いてしまう。
 背が高く、整った顔をしている。年齢は30代後半から40代前半くらいか?
 美術教師だと言うことだが、どちらかというと、体育でも教えている方が似合いそうな感じだ。
「高橋、みむらです」
 一応にこやかに応じておくことにする。
「ああ、失礼、内村巧(こう)です」
「よろしくお願いします」
「それにしても、美しい方ですね」
「……ありがとうございます」
『なんだか……』
「瀬川先生の猛烈なプッシュで来られたんですよね?」
『瀬川? って誰? 教授の知り合いって人かしら?』
「私は半年だけということで頼まれただけですので」
 詳しいことは……と言葉を濁す。
「なるほど」
「ところで高橋さんは、彼氏は?」
 突然話が変わったので一瞬応えに間があく。
「いませんけど」
『それがなにか関係あるのかしら?』
 心の中だけで付け加えてみる。
「いない!?」
 内村は大仰に驚いてみせる。
「こんな美人を放っておくなんて、どこに目をつけているんだ?」
「あの……」
「どうです? 今度食事でも」
 ひとつ大きく息をついて間をとる。
「申し訳ありませんけど。私食事は気の合う友人としかとりませんから」
「ふむ、一理ある」
「では」
 内村は一向にめげる様子もなく、にこやかに話しかけてくる。
「では、今度美術室に来てください」
「こんなにきれいな方がモデルでもしてくれると美術部の子たちが喜びますから」
「ふふ、お世辞を言ってもなんにも出ませんわよ」
「とんでもない。出すのは私ですよ」
 言うと内村は机の中からビニールの包みを取り出す。
『なに?』
「どうぞ」
「これは……」
「マシュマロですよ」
『……』
「甘いモノは食べませんから」
『というか、この人は一体なにを机の中に入れているの??』
「ああ、ではやっぱり一度美術室にいらっしゃい。美味しい紅茶を用意しますから」
「ええ、いずれ」
 言いながら立ち上がる。
 出席簿とテキストを机の上に揃えると、それが会話打ち切りの合図になる。
「お先に」
 一礼すると、内村はヒラヒラと片手を振ってみせた。
『妙な会話のせいで遅くなってしまったわね』
 職員室に残っている人はもうほとんどいない。
 みむらはあらかじめ聞いてあった教室へと無人の廊下を進む。



 静かな長い廊下を歩く。
 教室内はまだかすかにざわめきが残っていて、それが廊下にまで伝わってくる。
 窓の外は秋の空が広がっている。
 1つの教室の前で立ち止まって、ドアの上のプレートを確認する。
 2年5組
 これからここが彼女が半年ほどを過ごす場所になる。



 某大学の附属研究室。
「高橋くん」
「はい」
「どうだ? 頼まれてくれんかな?」
「……」
 老教授は上司でもあり、恩師にあたる人物で。
「今年度いっぱいの代理教諭だ、いい人を紹介してくれって泣き付かれてね」
「はい」
「今のプロジェクトはもう終盤だし」
 立場的にも断れる話ではない。
「おもしろいと思うよ。人に教えるのは」
 にっこりと笑われれば、ほほえみ返すしかない。
「そうですね。教授の授業はとても楽しかったです」
「なに、お世辞はいらんよ」
「ふふ、でも本当に楽しかったんですもの」
 結局断る機会を失ってしまった。
 約9ヶ月。研究から遠ざかるのは不安でもあるが、外を見てみるのもこの際いい経験かも知れない。
 そう思い直した。
 なんにせよ、老教授の授業がとても楽しかったことはまぎれもない事実だ。
 彼のおかげで今の道に進んでいるというのは少し大げさかも知れないが。



『さて。行きましょうか』
ガラッ
 それまでざわついていたのが急にシンと静まりかえる。
 室内の全員の注目が集まる。
 視線を浴びながら、教壇までをことさらにゆっくりと進む。
 手の中のものを教壇に置くと、まっすぐに室内全体を見回す。
 全部で35人。
 女の子の方が圧倒的に多い。
 興味津々で身体を乗りだしている子。
 うつむいて、こっそりとこちらを窺う子。
 関係ないね、とでも言うように机にひじを突いている子。
 もちろん、代理の先生が来ることはあらかじめ知っていただろうから、彼らの興味は私がどんな先生かって言うこと。
 おもむろに振り返ると、黒板に向かい、白いチョークを手に取る。
 黒板に高橋みむらと大きな字で名前を書く。
 カカッと書いたにもかかわらず整ったきれいな字だ。
「今日から君たちを担任する高橋みむらです。担当教科は化学。短い間だけど、よろしく」
 言いながら教室全体をもう一度見渡す。
 一瞬の間を置いてから、教壇の上に置かれた出席簿に目を落とす。
「では、出席をとります。呼ばれたら立って返事」
「1人1つずつ質問を受け付けようかな?」
 くだらない質問はしないように、と前置きすると、軽い笑いが起こる。
「くだらないってどんなの〜?」
「それくらいは自分で考えなさい?」
 にっこりと笑うと、クスクスと小さな笑いが広がる。
「えっと、相沢……」
 …………
「山崎花林」
「はいっ」
『あら、可愛い子ね。』
「えっと……倉林先生が帰ってきたら、先生はどうするんですか?」
 ぱっちりと大きな目をクリクリさせて訊ねる。
「代理だから、元の職場に戻ることになるわね。研究員なの」
「次、山田……」



キーンコーンカーンコーン
「ではHRはこれで終わり。」
「先生、先生っ♪」
 教室を出たところで女の子に呼び止められる。ちっちゃくて可愛い子。
「えっと……」
「花林です、山崎花梨♪」
「花林ちゃん、何のご用?」
 一瞬、不思議そうな表情を浮かべる。
『いきなり、ちゃん付けは拙かったかしら?』
 が、すぐに花林の表情はパァッと明るくなる。
「学校の案内、してあげようかな〜なんて思ったんだけど……ダメ?」
『うーん、前の資料とか色々見てみようと思ってたんだけど。でも……』
「うれしいわ
「じゃ、放課後、約束ね♪」
 パタパタと駆けていく後ろ姿を見つめる。
『本当に、可愛い子ね



 放課後。
「お待たせっ」
 ポンッと後ろから背中を軽く叩かれる。
「行こっ、センセ♪」
 山崎花林がにっこりと微笑んでいる。
「よろしくね」
『表情がクルクル変わるのは、大きな瞳のせいかしら? 長い髪の毛が動きにあわせて揺れるのもそうかしらね?』
「まずは〜、特別教室棟からね♪」
 コの字形になった校舎は、事務室や相談室、教科準備室などがある棟を挟んで通常教室棟と特別教室棟とに別れている。
 教室棟からは渡り廊下を通って特別教室棟に行く。
 屋根はあるが壁のない渡り廊下は、中庭からの涼しい風が通り抜ける。
「あ、あの子今日もいる……」
「?」
 中庭のぐるりを取り巻くように植わっている花のところに1人の女の子がしゃがみ込んでいる。
 眼鏡を掛けて、少し長目の髪の毛をかるく2つに束ねた、主張の少ない感じの子。
「1人で花の手入れとかしてる見たい」
 チラリと視線をやると、土のついた手で触ってしまって鼻の頭を汚している。
「園芸部とかなのかな〜?」
 短い渡り廊下が終わると、その話も打ち切りになる。
「1階には音楽室、保健室」
「つきあたりが職員室よ」
 案内する、といいながら花林の説明は自分に関係のないところは軽く省いている。
『入ったことのないところなんて、よく覚えてないのかも知れないわね』
 苦笑する。
「あ、こっちの階段から登りましょ?」
 やもすると手を引っ張られる感じで急かされる。
 花林の様子はいかにも先生と一緒でうれしい と全身で表現している。
 2階には理科室、家庭科室、図書室
「先生、ちょっといい?」
「期限、今日までだったの。本返さなきゃ」
「いいわよ」
 一緒に図書室に入る。
 入り口はかなり広くとってある気がする。
 入ってすぐのところにカウンター。
 壁に沿って本棚が整然と並んでいる。
 並んでいる机で勉強をしている子たちもチラホラ。
「返却お願いしまーす♪」
「はい」
「あ、今日は委員長なんだ」
 花林の言葉に、図書委員の子が顔を上げる。
 ペコリと頭を下げる。
「クラス委員の岡野さんが図書委員の仕事をしてるの?」
「あ、いえ。その……」
「あのね、委員長のはね、ボランティアなの」
「ボランティア?」
「あの、私、よく図書室に来てるから……それで、なんとなく」
「見てて仕事覚えちゃったってことね」
「ええ」
 おとなしい子。
 面倒な仕事をおしつけられるタイプなのかも。クラス委員も押しつけられた口かな?
「はい、いいわよ」
「あのねあのね、センセに学校案内してあげてるの
「委員長も来る?」
「あ……」
 後ろを振り返る。本来の図書委員の姿はどこにも見あたらない。
「あー、お仕事ほっとけないか(;^_^A 」
「ごめんね?」
「いいって、いいって♪」
「今度、クラスのことを色々と教えてね
 花林に腕をとられて引っ張られながら言うと、岡野真実がひっそりとほほえみ返した。
「さて、次はね〜」
 図書室の前の階段を登って、3階に。
 3階にあがると。
「あー、内村センセ
 美術室に入ろうとしている内村巧と出くわした。
「あれ、美人が2人も揃ってどうしたんだ?」
「やーん みむらセンセと校内一周旅行でーす♪」
 胸に手を当てて、めいっぱい可愛いポーズをとる花林。
『これは、かなり好意をもっているわね』
「時間があったらお茶でもしてくか?」
「はーい」
 返事をした後で私を見ても……
「うーん、今日は止めとく。また今度誘ってね
「じゃあ、今度は時間のある時においで」
「可愛い女の子はいつでも大歓迎だ」
 ウィンクを投げて、内村は美術室の中に消えた。
「ふぅ」
 えへへ、と笑う。
「内村センセってね、いっつもあんななの
「女の子みーんなに優しいんだよ」
「可愛い女の子、なんて言ってるけどねぇ」
 と、そこで声を潜める。
「女の子は女の子ってだけでみんな可愛いんだって
「えこひいきとかもしないんだ〜」
 ある意味本当のフェミニストなのか? 判断に悩むところだわね。
「あ、でも男の子にはきびしいかも〜」
 きゃはは、と笑う。
『……なんと言っていいのか……』
「さって、あと3階は地学教室と視聴覚室とLLルームかな?」
「視聴覚室はね〜けっこう設備いいんだよ♪」
 前に立って歩きながら、時々身体ごと振り返る。
『まるでダンスしながら歩いてるみたいね』
「開いてるかな〜?」
「使わない時はね、鍵がかかってるの」
ガタガタ。
 引き戸を引っ張ってみるが、やはり鍵がかかっているらしい。
「残念でした」
「じゃあ、次は外ね♪」
 コの字の縦棒をつっきって、教室棟の階段を使って一気に下に降りる。
 外廊下を挟んで体育館と武道館が向かい合っている。
「武道館はね、柔道とか剣道とかもなんだけど、ここは弓道場とかもあるんだよ」
 えっへん、とまるで自分の自慢でもしているかのようでほほえましい。
「弓道場なんて見たことないわ」
「でしょでしょ?」
「見てみる?」
「大丈夫かしら? 邪魔になるんじゃなくて?」
「んー」
 小首をかしげるようにしながら、ちょっと考える仕草をする。
「大丈夫っしょ!」
「じゃあ、ちょっとだけ、いいかしら?」
 そっと武道館に入ってみることにする。
ガラガラガラ
「!!」
『思ったより大きな音がするのね』
 入り口の重いドアをあけただけで注目を集めてしまう。
「びっくりしたね」
 花林が小声でてへっと笑う。
「ふふ、あんなに大きな音がするとは思わなかったわね」
「ここ、2階建てなの。上にあがりましょ」
 人目を気にしてひそひそ話になる。
「邪魔!」
 後ろからの声に振り返ると、胴着?姿の少年がこちらを見上げている。
「望月くん」
 狭い階段の上で並んで歩いていたのを、少しでも横に避けようと、花林が身体をすりつけてくる。
「なんでお前がここにいんの?」
 不機嫌そうな表情でにらみつけてくる。
「だってぇ」
 軽く唇をとがらせて、拗ねて見せているのは、わざとだろうか?
「だってじゃねぇよ、さっさとどけって」
 遅れるだろ? と口ではぞんざいに言っているが、かといって、どけようと手を出すわけでもない。
「もう、これ以上どけないよぉ」
 クスン、と鼻を鳴らすと、ひとつため息をつく。
「じゃ、さっさと上がればいいだろ!?」
 気の利かない女だな、と吐き捨てるようにつぶやく。
「えーん」
 口で言いながら、花林もその方が早そうだ、と階段を上がり始める。
「下から覗いちゃヤーよ?」
「覗かねェよ!!」
「ホラホラ」
 放っておくといつまでもそんな話をしていそうなので、花林の背中を押して階段を上がらせる。
「山崎さんに校内を案内してもらってたのよ」
「ソッすか」
 振り向くと、下を向きながらついてきている。
『あら、もしかしてけっこう硬派なのかしら?』
「センセ、望月くんね、弓道部なの」
「へぇ? 弓道場があるなんてすごいのね」
「べつに……」
 口べたというよりは、女の子が苦手なタイプなのかも知れないわね♪
「センセー、弓道場行くのか?」
 階段を上がりきったところで、そっぽを向いたまま。
「ええ、そのつもりよ?」
「そっち……」
 階段を上がりきったところにある入り口を開けようと手を掛けながら、一番奥の方にある窓を指さす。
「今、大会前でみんなピリピリしてるから」
「……そっちから中見えるんで」
「ありがとう、望月くん」
「音、結構響くから」
『静かにしてろってことね』
 OK、と指で輪っかをつくって合図する。
「ッス」
 小さく頭を下げて、部室に続くドアをくぐる。
 またね〜♪ と花林は望月にヒラヒラと手を降る。
 苦手意識はどうやら望月の方にしかないらしい。


ここでホントは弓道場の様子を書きたかったんですが資料がなく……


「向かいが体育館♪」
 ボールの弾む音がしているから、バレー部とかバスケット部とかが練習をしているんだろう。
「あとね、外も結構広いんだよ?」
 体育館は横目で見ながらまた教室棟に戻る。外履きに履き替えて外に出ると、まだ部活の真っ最中らしく活気のある声が響いている。
 駐車場の脇から少し下に下ったところにプールへの入り口がある。
「更衣室ね〜狭いんだよォ、クラスの子がいっぺんに着替えるからたーいへーん」
 唇を尖らせるようにして不満を漏らすが、どうも甘えているようにしか見えない。
 だからみむらは苦笑するしかない。
更衣室の横からフェンスをくぐってテニスコートと野球部のグラウンドが隣り合っている。
 ふと視線を感じて振り返る。
「?」
 何人もがボールを追って走り回っている中で、自分に向けられていた視線の主を特定することは出来ない。
「ここは部活動が盛んなのね」
「うんっ テニス部なんかね、全国区に出たりするんだよ〜」
 まるで自分のことのようにうれしそうに話す。
「部長がかっこいいんだ〜♪」
「あ、部室棟はね、上になるの」
 駐車場のところまで戻ると、正門まで続く並木の下に2階建ての細長い建物がある。
「あっ茉莉花様〜
「ごきげんよう」
 派手なドレスを着たお嬢様に声を掛けられると、花林も、長いスカートの裾を持ち上げてでもいるかのようにして膝を折って挨拶をする。
「これから舞台稽古ですか?」
 花林のせりふでようやくこの突飛な格好の意味がわかる。
『舞台稽古。演劇部かなにかなのね』
「ええ。そちらは?」
「あ、高橋みむら先生。化学の代理の……」
「お伺いしているわ」
 長いドレスを翻してみむらの方を振り返る。
「なにかありましたらおっしゃってくださいね」
『……』
 白いドレスはフリルとレースで飾り立てられている。縦ロールにカールした髪にも大きな花が華やかに咲いている。
「あのね、茉莉花さま、理事長先生のお孫さんなの」
 花林が小声で教えてくれる。
「ははぁん♪」
「できるだけ便宜を図りますわ」
『友人から様づけで呼ばれて喜んでいるようじゃ、まだまだね』
「では、そろそろ、失礼いたしますわ」
 10メートルほど離れてから、ふと振り返る。
「花林さん? よろしかったら体育館の舞台でのお稽古、ご覧になる?」
 パァッと花林の表情が輝く。
「あ、でも、お邪魔になると悪いから」
「そう? それじゃ」
 まるで誘ったことは単なる社交辞令でもあったかのようにあっさりと立ち去る。
『まあ、実際、社交辞令でしかないんでしょうけど』
「はぁ」
「どうしたの?」
「え? へへ♪」
「茉莉花様、綺麗だったでしょう?」
 うっとりと話す花林に、思うところはあっても口を挟むつもりはない。
「はぁ」
 もう一度ため息をついてから、花林はみむらを振り返る。
「あとは、向こうにグラウンドが何個かあるだけ……かな?」
 校舎に向かって歩きながら、もう一度頭の中で今見てきたところを整理する。
 コの字型の校舎に、中庭を挟んで教室棟と特別教室棟。
 特別教室棟のコからはみ出たところに職員室と2階が図書館。
 校舎に並んで、体育館と武道館が向かい合わせに建っている。
 外に出て、校舎正面玄関の前に駐車場を挟んでテニスコートとプール。その向こうに野球部グラウンド。
 正門に向かう桜並木の下に部室棟。その向かいにグラウンド。
 地図を頭の中に描く。
『よし、大丈夫ね』
「ありがとう、花林ちゃん」
「うふっ、どういたしまして
「じゃ、わたし、鞄とりに戻んなくちゃ」
「また明日♪」
「気をつけてね さようなら」
 バイバーイと手を振りながら校舎に入っていく花林を見送る。



続く