タイトル未定 ラスト
 ろうそくの炎が揺れている。赤く照らし出された空間に双子の美しく整った顔が並んでいる。
「今をのがすと、もう二度と逢えないのよ?」
「ウーラ……」
 姉は妹を見て、優しく笑った。
「ターニ、私の半身、しあわせになってね」
 ウーラはターニの頭を胸に抱いて、そして押しやった。
「さあ、行きなさい」
 扉の前で、ターニはウーラを、そしてウーラと過ごしたこの部屋を振り返った。
 お兄様が、国を出る。長い廊下を歩きながらターニは思った。お兄様がいなくなる。そんなのは、嫌。でも……。ウーラと離れることも、私には出来ない。私たちは、2人で1人なのだから。
 廊下を何度かまがって、兄の部屋の前に立つ。
 木製の扉が部屋と通路との間に立ち塞がっていて、まるで心の結界みたいだわ、とターニは思った。なぜタウィールは国を捨てて出ていこうとしているのか。自分にはまるで判らない。兄の心は決して自分には判らないのだと思うと哀しかった。
 遠慮がちなノックの音にタウィールはその手を休めた。国を出て西方の村を治めていくつもりだった。魔物をおそれ細々と、しかしたくましく生きている人たちが、そこには居る。小さな、点在する村々は互いに連携さえできれば今よりもずっと豊かに暮らしていける。
 再度扉がノックされて、タウィールはつくりかけの荷物を物陰にかくしながら声をかけた。
「どうぞ」
 ゆっくりと扉が開かれた。妹姫ターニがうつむき加減で立っている。
「お兄様……」
「なんだい、ターニ」
 努めて優しく、タウィールは言った。ターニの表情から、彼女が自分が国を出ていこうとしていることに気づいていることが判る。
「タウィール兄様。国を、国を出るって、ほんとう?」
 真っ直ぐにターニは、タウィールの瞳を見て言った。紫の瞳がまぶしくてタウィールは目を背けた。
「ほんとうだよ。先刻、父上にも話してきた」
「どうして?」
 言葉が続かず、その一言しか言えずに、ターニは天井を仰いだ。そうでもしないと涙がこぼれそうだったから。
「西方を、見て来ただろう?」
 限りなく優しくほほえんでのタウィールは言った。
「……西の村々はもっと豊かになれるよ。俺はその手伝いを、したい」
 ターニの瞳が揺れる。
「ターニ……」
 タウィールは一瞬躊躇して次の台詞を言った。
「……アミールと、しあわせにおなり」
「いや! 兄様がいないと、私、泣くわ」
 そう言うターニはもうすでに大粒の涙を頬に伝わせている。
「お兄様がいないなんて、嫌です」
 気が付くとタウィールはその胸にターニを抱き寄せていた。“だめだ、その手を離せ、タウィール”心の中で声がするが
「じゃあ、俺と一緒に行くかい?」
 実際に口から出たのは甘いささやきだった。
 腕の中でターニの目が見開かれる。
 長い、沈黙。
「冗談、だよ」
 言って、妹に笑いかけながら、体をひきはなす。
 なんとか“妹にむける笑顔”を作った。
「……や……」
「なに?」
 やさしく聞き返す。
 ターニはうつむいていて、その表情はタウィールからは見えない。
「……私は、いや」
 静かにそう言って、上を向く。2人の瞳がぶつかる。
「お兄様と離れるくらいなら……」
 ターニは一度そこで言葉をきって、兄の目を覗き込んだ。
「私、ついて行きます」
「ターニ……」
 タウィールの声がうつろに響く。
「だめだよ。おまえには、アミールがいるじゃないか、それに、ウーラと離れることも、できないだろう?」
「でも」
 ターニは微笑んだ。
「お兄様と離れる方が、私にはできないと思うんだもの」
 自らの心を無理矢理押さえつけてタウィールはターニに背を向けた。
「わがままはやめなさい、ターニ・アスィール」
 回り込んだターニがタウィールの首に飛びつく形で、兄を抱きしめる。
 くちびるが触れる。
 ストン、と手をほどいて、ターニが着地する。
「……」
「私、お兄様を愛してるわ」
「〜ー!!」
 言葉にならない声をタウィールが発する。
 ターニはまっすぐに兄の瞳を見上げている。
 部屋の角でろうそくがかすかに揺れて、やわらかい空気を作り出す。
「タウィール兄様が、好き」
 言って、ターニはタウィールの胸に顔を埋めた。タウィールの腕がターニの背を抱く。
「……ターニ」
「連れて行ってください、私も」
「ターニ」
 彼はそう言って、少しかがみ、妹の、最も愛する者の顔を見つめ、そして、深く、口づけた。



 兄と妹が王の前で礼をとっている。
 2人とも旅装だ。王の左後方に、姉姫ウーラ・ルゥヤが玉座に手を添えるようにして立っている。
「行くのか」
太い声が尋ねる。
「はい」
 タウィール・ワリス・ワタニィが、短く応える。
「では、王子は妹姫を伴って西方統合の旅に。領土を拡大して、戻ってくるように」
「父上……」
 タウィールが困惑の表情を浮かべる。
「……おまえの統べる西方と」
 サーヒブ・アル・ワタニィは、息子にほほえみかける。
「巫女姫ウーラ・ルゥヤの治めるマディーナ・ワタニィとは、うまくやっていけると思わんか?」
「父上」
 タウィールの声が震える。
「お前には、父らしいことは何もしてやれなかったが」
 王の表情が父の顔になっている。
「……愛しているよ」
「存じております、父上」
 そう言って、タウィールは父の肩を抱いた。
「うむ」
 サーヒブは、ターニを手招きして、その金の頭をそっと、大きな手でなでた。
 ターニは父の首に抱きついて小さな声で「お父様」とつぶやいたが、父のほおにキスをすると、健気に笑って「いってきます」と言った。
 ウーラと目があう。立ち上がろうとする妹を優しくほほえんでとめる。あたたかく、やわらかな“気”がターニを包む。うっすらと涙を瞼の端ににじませたターニは、タウィールに背を抱かれるようにして、ウーラを見つめている。
 静かな時間が流れる。
 やがて、ターニは自分を包んでいた姉の“気”が、すっと引かれたことに気付く。そろそろお行きなさい、とでも言うように。
「行きましょう、タウィール兄様」
 愛する者を振り返って、ターニが言う。
 タウィールは父と、そしてもう1人の妹に目で別れを告げて、ターニの肩を抱く手にそっと力を入れる。
 2人の背中が重い扉の向こうに消えるまで父王サーヒブとウーラ・ルゥヤは、じっとその背中を見つめていた。
 父に手で招かれて、ウーラがその傍らに跪くと、父は無言で娘を抱き上げ、その髪をやさしくなでた。
「お父様、2人はしあわせになれるのでしょうか?」
「不肖の息子が、いつ、あの“石”に気付くことか……」
 一瞬“?”を顔にのせて父を見たウーラはフッとほほえんで、「そう遠いコトじゃないみたいです。よりそった2人の間に、赤ちゃんが居るのが見える……」少し遠い瞳をして言った。



 朝陽が霧を追い払い、しずかだった街に人々のざわめきが満ちてくる。ベランダからそんな様子を眺めていたウーラの目が、影を追うように部屋の中へと戻される。
 ウーラは広い部屋を横切って侍女(シャッガーラ)を呼ぶと、お茶を2人分用意するよう言いつける。
 椅子に座って姿勢を正し、テーブルの上に飾られた花を見ていると視界が青く変化していく。“何か”を視ている時はいつもそうなる。瞳が紫から青へと変化していく過程で、ウーラは青く染まった世界を視るのだ。
 父のかたわらで国民にほほえんでいる自分が視える。
 兄と妹が子供を連れて訪ねてくるのを出迎える自分が視える。
 巫女として国を治めている自分。
 力が足りず、魔に国民を殺されて泣いている自分。
 年老いて、静かに、しかし幸福そうに笑んでいる自分。
 そして、そのどの場面にも1人の男が居た。
 香草のお茶と、果物のケーキを持ってきたシャッガーラが部屋を出ていくのと同時に、隣国のアミール・ジャール・ビラーディ王子が遠慮がちなノックと共に入室した。
 テーブルの上の2つのカップにアミールが気付くと
「影が通りましたから」
 と、ウーラは青から紫へ戻りつつある瞳でほほえみかけた。
「ああ、ウーラ姫は“視る”力を持っておいででしたね」
 穏やかな表情の下に、彼がターニを失った哀しみを乗り越えようとしていることが見てとれる。それは、ターニを忘れることではなくて、大切な“想い出”にすることによって。
「何を“視て”いたのですか?」
 今は紫に戻った瞳でウーラは窓の外に広がる青空を見上げた。
 そして、アミールに目を戻して微笑む。
「ええ、……未来を……」


Fin