タイトル未定5
 妖物がうごめいている。
 びっちりと、隙間なく。
 大木のうろの中だろうか、さほどには広い空間ではない。が、上下左右前後そのすべてが異形のモノで埋め尽くされている。
 下等な妖物たちが電球に群がる虫のように、ウーラの“気”に惹かれて集まっている。“祝福された力”への恐怖に一定の距離を保ちながらも、隙を狙って飛びかかろうとしている。
 ウーラはその真ん中で眠っている。夢魔の見せる悪夢にうなされながら。
 ピクッ
 ウーラのまぶたがかすかに動く。
 キィキィ
 妖物達が敏感に反応する。包囲網の内側がわずかに後退する。
 ウーラが目を開ける。
 まばたきを何度かくりかえす。
 夢の続きを見ているのか、と思った。
 後じさるように後ろをさぐっていた手がぬるっとした感触をとらえてはじめて、現実としての認識が追いつく。
「キャア―――――――――ッ!」
 あげた悲鳴はしかし声にはならず、喉の奥の空気をふるわせただけだった。
 醜いモノたちがひしめきあいながらも、一定の間隔以上は近寄って来ない、とウーラが気づいたのはずいぶんと経ってからだ。
「ターニ、ターニはどうしているかしら?」
 妹のことを考えることで少しでも現実の恐怖から逃れようと無意識のうちに考えていた。
 また、ムチャをしていなきゃいいけど……、ターニはいつも無茶ばかりしてるから。
 思いながらウーラは少しだけ感覚の触手をのばしてみた。特に問題はなさそうだ。そのまま意識をとばす。と言っても、ウーラの“視る力”は視覚や感覚が物理的枠にとらわれなくなる、という力で、いわゆる幽体離脱とは少しちがう。時間や距離をこえて、ウーラには視える、そういうことだ。
 瞳の色が紫から青へと変わったとき、ウーラの目に映ったのはタウィールの心配そうな顔だった。今、ウーラはターニの目を通して視ているのだ。
「西、お兄さま、助け……」
 ターニの口を借りて言う。
 あまり長くターニの中に居てはいけない、妹の意識を飛ばしてしまう、そんな思いがウーラを早口にさせる。
「夢魔は、ターニを狙って……気をつけて」
 ユラッ
 妹の躰から出たウーラは、そのままターニが自分の意識を取り戻すのを見届けると、自らの身体にチューニングを合わせていく。
 なんとか、しなければ。
 今自分がターニの目を通じて視たように、ターニはウーラの身体から力を放出することができる。たとえば、この周りを取り囲んでいる下等妖物を吹き飛ばすくらいなら雑作もないはずだ。
 でも、ウーラは自問自答する。
 その力は今は期待できないわ。だってそんなことをすれば、ターニのその力を狙って、さらに力を持つ妖物達が集まってきてしまうはずだもの。
 それに、ターニはまだ自分をコントロールできなかったんだわ。
 そこまで考えてウーラは思い切って立ち上がった。自分で、切り抜けるしかないと思ったから。それに、自分との距離を保とうとしているこの妖物たちは、自分が動けばその分だけ移動して自分を通してくれるのでは……との期待もあった。
 おそるおそる、右足を踏み出してみる……何も起こらない。
 ウーラは大きく深呼吸した。心臓がバクバクいって、今にも破裂しそうなほど怖い。
 左足を、地面をするようにジリジリと前へ進める。
 ビクッ
 化物としか言いようがない醜いモノと目があって、すり足をしていた左足が止まる。あわてて目をそらすが、なかなか次の足を踏み出す勇気がでない。
 ゆっくりと息を吐きながら両手を顔の高さまであげる。
 パンパンッと2度、ほおをぶってからその両手をじっと見る。
「大丈夫。なんとかなる。しっかりして、ウーラ。なんとか、するんだから」
 声は少し、うわずっていたけど。
 一度目を閉じて、躰の中を流れる波に意識を向ける。体の中心から手足を通って、満ちた“力”が昇ってくるのが判る。
 大丈夫。
 心の中でもう一度唱えて目を開ける。
 暗くせまい空間はあいかわらず低級妖物で埋め尽くされている。その中心に立つウーラの姿が淡い燐光を放ち始める。青白い炎のようなそれは、ウーラの“気”が密度を増して可視化したものだ。
 ウーラが歩き出す。すると最初思ったように、彼女の歩に合わせて妖物の波が割れる。目の前に、森の中へと続く小さな出入り口が口を開けている。
 この空間を出ても、異形の森の真っ直中。けして、自由になれるわけではない。
 しかし、ウーラは思った。
 何もしなければ、何も始まらないではないか、と。自分のために、愛する者たちを危険に向かわせておいて、助け出されるのをただ待っているだけなんて出来ない。弱い人間だと言うことは嫌という程知っている。でも、自分で自分を嫌いになりたくはない。そのための一歩は、今、踏み出さなきゃいけないんだ、と。
 強い意志を秘めた瞳で、キッと前を見つめて。最後の一歩を踏み出す。
 ?
 やわらかい膜に触れたような気がした。
 手を前に突き出してみる。弾力性のある、壁。
 結界!?
 ウーラは信じられないものを見る目で、自分の手の先を見ている。この暗く狭い空間から抜けだそうといくら歩を進めてみても、見えない壁に阻まれて押し戻される。
 焦れて、結界の壁を叩く。力を入れれば入れるだけゴムでも叩いているように、はじき返す力が倍増する。
 心の中が焦りと不安で満ちてくるが、ウーラ自身どうすればその不安をぬぐい去ることができるのか判らずにいる。
 爪をたててひっかいてみても手応えはなく、角から角まで探ってみたがやはり結界に破れ目はない。
「う……くっ」
 いつの間にか、声がもれていた。眼の端には涙も浮いている。膜にもたれるように立っていた膝がくずれる。涙が頬を伝い落ちる。
 うすれていく意識の中で、かすかに自らの嗤い声を聞いた気がした。
 く、くくくくっ
 もがき苦しむが良い。そして半身に助けを求めるのだ……おまえの絶望が私に力を与え、さらなる甘美な獲物をも呼び寄せる。
 くっくっくっ