タイトル未定2
 夜半、王子の出発をひかえ、早めに寝静まった城中。金の姫たちの部屋も今は静かに寝入っている。部屋の中で1つ、動く影がある。ターニ・アスィールだ。
 ゆっくりと、闇の眠りを妨げぬように、彼女は小さなバスケットの中に物を詰め込んでいく。まず、短剣。そして少しばかりの宝石。そして保存食をほんの気持ち程度。荷物は重くするわけにはいかない。薬草は途中でみつけるつもりで持たないことにした。しかし、一瞬考えて、香草だけは持っていくことにする。まだ“力”を制御できない彼女には、ウーラが魅入られている今、香草に頼らない魔術はあまりにもリスクが大きい。
 それだつめこんだバスケットを持って立ち上がった彼女は、男物の服を着ていた。
 丈の短いチュニックの腰には剣がさげられている。飾り物の剣では、ない。彼女は、いや、彼女たちは幼い頃から自らの身を守る術を賢者アーリムから教わってきている。ターニは剣を、そしてウーラは攻撃呪文を。国を守る義務は、巫女であり能力者でもある彼女たちにとって、自らを守る義務でもあるのだ。
「よし」
 小さくつぶやくと、ターニは窓から身を躍らせた。
 兄上は金の力を持っていない。それにウーラは私の半身。ウーラの居る場所が、私には、判る。心の中でそう宣言すると、痩せた月の明かりに浮かぶ城を今一度振り返り、ターニは西へと足を踏み出した。
 兄たちが彼女の不在に気づくのは、まだ先のことである。
 とにかく、お兄さまとアミールに追いつかれるまでに一歩でも先に進んでおかなきゃ。ターニはしかし、疲れてしまわないように、慎重に自分のペースを計りながら歩いていった。
 街も、今はもう静かだ。なんの音も聞こえてこない。時折森の方から、ふくろうの声が不気味に届くばかりだ。
 街を抜けるとしばらくは丘と森が続く。ここはまだしかし、祝福された森だ。異形の者たちが現れることもほとんどない。
 なんとか、夜明けまでに国境を越えてしまいたいんだけど……なんたって途中でつれもどされてしまうわけには、いかないもんね。国境を越えてしまえば……人間以外の者たちの土地に足を踏み入れてしまいさえすれば……ターニは考える。この“力”が私の味方をしてくれるはず。金の髪を手にとって、ターニは嗤う。うまく使いこなせれば、だけどね、と。
 ウーラ、待っててね、私がきっと助けてあげる、ウーラ。

 マディーナ・ワタニィ城中。
 国王サーヒブ・アル・ワタニィの命で王子タウィール・ワリス・ワタニィが西方視察へ出る。しかも隣国ジャール・ビラーディの世継の君アミール・ビラーディを伴って、となると、いやが上にも気分は盛り上がった。
 もっとも、本当の出立の理由を知る者は極少なく、そのものたちは緊張に身体をこわばらせていたが。
 そんな中をタウィールは走っていた。心なしか顔色が悪い。
「父上!」
 国王は落ち着いてタウィールを迎えた。
「どうかしたのか?」
「ターニが、ターニ・アスィールが、西方に向かっています」
 タウィールは父に羊皮紙を差し出した。そこには、ターニの字で、一足先にウーラを探しに行く、と書かれている。
 サーヒブ・アル・ワタニィは一瞬、心配そうな顔をしたが、すぐに国王の顔に戻って王子を見た。
「巫子姫は王子の無事を祈って禊に入った。次の満月までは、誰も神殿に入らぬよう」
「次の、満月まで……」
「次の満月までだ」
「では、そのように手配します」
「頼んだぞ」
 タウィールは礼をすると、慌ただしく王室を後にした。
 王サーヒブ・アル・ワタニィは息子が出ていったのを確認した後で、やっと一人の、娘を心配する父に戻った。
「まったく、あのお転婆娘は!! わしに総て後始末を押しつけおって。タウィール、ウーラとターニを、頼むぞ」
 タウィールは、改めて父を尊敬していた。王として、2人の姫、それも“力”をもつ巫子姫の行方を長子に探させ、大がかりな探索隊をだしたりして国民に不安を抱かせない、その判断力が、決して彼が姫を心配していないのではないと、痛いほどに判るだけに、タウィールは自分の小ささを知るのだ。
 とにかく、今はターニと早く合流することだ。ターニ・アスィールのことだ、国境の辺りでの合流を計算して出立しているだろう。たしかに、自分とアミールの、金の力を持たない2人には、異形の者たちの棲む地は危険きわまりないだろう。自分はターニを守ってやることができるか? タウィールは応えのない問いを発した。
「タウィール」
「ああ、アミール、準備は?」
「出来ている。早く行って、我が婚約者殿を連れ戻さないと」
「こちらも、とりあえず次の満月までは大丈夫だ。行こうか」
 2人は瞳を交わした。
 馬首をめぐらす。まずはゆっくりと、街の人たちが王子たちの顔を見て挨拶を交わすのに笑顔で応じながら。街を駆け抜ける。西へ。
 森へはいると2人はようやく笑顔の仮面をはずした。
「ターニは大丈夫だろうか」
 アミールは、ターニをまず連れ戻して、国王に白の魔法使いたちにターニを守らせるよう進言しようと思った。夢魔は、ウーラを取り込んで力をつけているはずだから。アミールにとって、ターニはどんなにしても守ってあげなければいけない、そんな存在だった。
「ムチャをしていなければいいが」
 タウィールは妹の、力の暴走を心配した。彼女はまだ、自分の力をコントロールできないのだ。その力の強さ故に。できれば、異形の森の手前で待っていてくれれば良いが。そうすれば、アミールは心配して反対するだろうが、連れていってやることもできる。
 彼はなんとしてもターニ・アスィールを連れていく気になっていた。彼女の、半身を失った痛みを判ってやれるから。そのせいで、彼女が危険にさらされるなら、自分が代わりに死のうと思っていた。この苦しみから解放されるために。しかし、それは彼の無意識下での意識である。
 後はひたすら先を急いだ。どのみち、国境を越えれば馬は使えない。森と岩山ばかりだからだが、それだけでもない。馬は、人間には見えない物を見るのだ。ジンのいる森には連れていけない。その代わり、彼らの乗馬は訓練された軍馬でもあるので、国境で乗り捨てても、その日の内には城まで戻っているはずだった。
 永遠に続くかと思われた焦燥の時間も、暗く沈んだ森の一歩手前で人界に留まっている金の少女の前ではじけて消えた。
 少女はこちらを向いて座っている。にっこりと頼り切った笑顔を見せて。
 アミールが、まず口を開いた。
「ターニ、僕たちがどれだけ心配したか……城に戻りますね?」
 ターニ・アスィールは一瞬眉をひそめたが、もう一度にっこりと笑った。
「私も、ウーラのことが心配なの」
「しかし」
「待ってください、アミール」
 タウィールが2人の押し問答に口を挟む。
「ターニは、ターニ・アスィールは、高貴なる者、ですよ。私は、ターニを連れていこうと思う。ウーラがターニを求めているのだから」
「お兄さま」
 ターニは兄の腕に自分の腕をからませて、その額を彼の肩に押しつけた。
「タウィール殿、し、しかし夢魔はターニも狙ってくるはずだ! 連れていくなんて、あまりにも危険だ!!」
 タウィールはアミールから守るようにターニの肩を抱いた。
「では、彼女を置いていくか? 後を追ってくるのは判りきっているのに? 私たちと一緒なら、守ってやれるだろう?」
「私も」
 ターニがタウィールの衣の下で背伸びをして言う。
「私も、お兄さまたちを守れるわ」
 その様子を見てアミールはため息をついた。結託して共犯者の笑みを浮かべているこの兄妹には勝てないだろうな、という諦めのため息だ。
「行きましょうか、姫」
 アミールが手を差し出す。
 ターニがその手を取って、そして。
 歩き出した。